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クローデット・コルベール

ゲイリー・クーパー&クローデット・コルベールの最高コンビ主演映画「青髭八人目の妻」が面白すぎる!ルビッチ&ワイルダーが手がけた傑作コメディなんだもん☆そりゃ最強だわ(笑)

皆さんは、映画「青髭八人目の妻」(1938:原題:)をご覧になったことはありますか?

大スター、ゲイリー・クーパーと、クローデット・コルベールが主演したコメディ映画で、率直だけどどこかウブな男と、可愛いけど抜け目のないいたずらっ子な女が繰りなす恋愛コメディです。

ゲーリー・クーパーがまた憎めない男で思わず笑ってしまいそうになるのと、クローデット・コルベールの真骨頂とも言うべき男を手玉にとる賢さは、まさにピッタリの名コンビだと思います!

この映画を観ていると、ほっこりと温かい気持ちになり、元気が湧いてくるから不思議です。

監督は、ビリーワイルダーが師と仰ぐ巨匠エルンスト・ルビッチですので、洒落たセリフやシーンが満載です。そして、なんと脚本には、ビリー・ワイルダーが参加しています!

たしか、この映画での主人公たちの出逢いのシーンを、ケイト・ウィンスレットやキャメロン・ディアス、ジュード・ロウらがが主演した映画「ホリデー」でも劇中で褒めていました。

私も大好きな映画の1本です!オススメ♪




監督は、エルンスト・ルビッチ

エルンスト・ルビッチは、1892年にドイツのベルリンで生まれた伝説的な映画監督です。

アメリカの恋人と称された人気女優メアリー・ピックフォードからハリウッドに招聘されてからというもの、数々の秀作を監督。独特な感情描写がルビッチ・タッチという言葉を生むほどの人気でした。

さらに、巨匠ビリー・ワイルダー監督が師と仰いでいたことは有名で、監督エルンスト・ルビッチ、脚本ビリー・ワイルダーというタッグを組んだ作品もあります。

ビリー・ワイルダー監督の仕事場には、壁に「How would Lubitsch have done it?(ルビッチならどうした?)」という言葉まで貼ってあったそうです。

余談ですが、三谷幸喜さんは、ビリーワイルダー監督に会いに行った際、「私ならこうする。ビリー・ワイルダー」と色紙に書いてもらったそうです。

そんな、エルンスト・ルビッチの代表作としては、

アドルフ・マンジュー主演の映画「結婚哲学」、
モーリス・シュヴァリエ主演の映画「ラヴ・パレード」、
クローデット・コルベール&ミリアム・ホプキンス主演の映画「陽気な中尉さん」、
ミリアム・ホプキンス主演の映画「極楽特急」

などがあり、

さらに、映画「生活の設計」では、フレドリック・マーチ&ゲイリー・クーパー&ミリアム・ホプキンスが主演。

また、映画「青髭八人目の妻」では、クローデット・コルベールとゲーリー・クーパーが共演。

そして映画「ニノチカ」では、グレタ・ガルボが主演を務めるなど数々の大スターが出演しています。

他にも、映画「桃色の店」では、ジェームズ・スチュワートが主演を務め、

映画「天国は待ってくれる」では、ジーン・ティアニーやドン・アメチー、チャールズ・コバーンなどが出演しました。

個人的には、映画「青髭八人目の妻」が一番好きですが、「天国は待ってくれる」や「桃色の店」などもいいですし、「生活の設計」などもシャレた映画だなぁ〜と思います♪

受賞歴としては、アカデミー賞名誉賞を、1946年(54才の年)に授与されています。意外にも監督賞は受賞してないんですね。

エルンスト・ルビッチの生まれは、ベルリンで洋服屋を営んでいた両親のもとに生まれ、なんと16歳で高校を中退し、人気喜劇俳優に弟子入りしてるんですね!

劇団で舞台に出演したり、小道具を手伝ったりしながら、20才の年には映画にも出演を果たしています。最初は、役者さんだったんですね。

その後、コメディアンとして映画出演するようになり、やがて短編シリーズの主演まで務めていたというからスゴイです。

そして、1914年(22才の年)にコメディ映画「シャボン玉嬢」で監督デビューします。しかも、この作品では主演も務めたそうです。

さらに、1916年(24才の年)には、ドイツのメアリー・ピックフォードと称され大人気スターとなった女優オッシー・オスヴァルダを見出し、彼女が出演する複数本のコメディ映画を撮っています。

ドイツでは、その後もヒット作品を撮り続け、人気監督となっていき、ついに1922年(30才の年)、アメリカの恋人と言われ大人気だった女優メアリー・ピックフォードからハリウッド一へ誘われ、アメリカへ渡ります。

翌年には、メアリー・ピックフォード主演の映画「ロジタ」を監督し、さらにワーナー・ブラザースと契約。

1924年(32才の年)には、映画「結婚哲学」、1925年(33才の年)には映画「当世女大学」などの人気作品を監督しました。

1927年(35才の年)には、MGMへ移籍。さらにその翌年には、パラマウント社へ移籍して、1929年(37才の年)にトーキー映画「ラヴ・パレード」、1931年(39才の年)には映画「陽気な中尉さん」を監督。

さらに、1932年(40才の年)には映画「極楽特急」、そして1933年(41才の年)には、映画「生活の設計」を監督しています。

1936年(44才の年)には、アメリカの市民権を取得。

その後も、映画「天使」や「青髭八人目の妻」「ニノチカ」など大ヒット作品を監督し続けました。

なお、ビリー・ワイルダーとは、たしかこの「青髭八人目の妻」あたりで知り合い、タッグを組み始めたと思います。Wikipediaによると、ワイルダーのほうから売り込みにいったようですよ。

また、結婚歴は、生涯で2度していますが、2回とも離婚に至っているようです。子供は一人いて、2番目の奥さんは女優だったみたいですね。

アカデミー賞名誉賞は、1947年(55才の年)に授与されています。

ビリー・ワイルダーのみならず、日本でもファンが多く、小津安二郎監督なんかも影響を受けたと言われているようです。


脚本は、ビリー・ワイルダー

ビリー・ワイルダーは、1906年に当時のオーストリア=ハンガリー帝国、現在のポーランドにあたる場所で生まれた、アメリカの巨匠映画監督です。

父親は駅構内にあるカフェを経営していて、2人兄弟の次男にあたります。

大学には進学せずに、新聞記者としてスポーツや映画などの記事を書いていたところ、ジャズ・ミュージシャンに気に入られてドイツへ誘われベルリンに移り住みます。

そして、21才の時に、映画脚本家になるも、家賃も払えないようなギリギリの生活が続き、さらに1928年(22才の年)に父親が病気のために亡くなってしまいます。

ただし兄はアメリカで事業に成功していたようです。

そんな折、1929年(23才の年)に、ロバート・シオドマク監督によるドイツのサイレント映画「日曜日の人々」に参加して賞賛を得ます。

ちなみに、この映画の撮影助手は、後に映画「地上より永遠に」や「真昼の決闘」で知られるようになる映画監督のフレッド・ジンネマンでした。

この作品の成功のおかげで、ビリー・ワイルダーは、ドイツのトップ映画会社だったウーファ社へ招かれて、何本かの脚本を執筆してヒット作を手がけていきます。

ですが、1933年(27才の年)になるとヒトラー率いるナチスが台頭してきたため、ユダヤ系だったワイルダーはフランスへ亡命します。

Wikipediaには、第二次世界大戦は1939年の9月から始まったとありますが、その6年も前からすでにユダヤ人にとってはドイツは住みにくい国となっていたのですね!ビックリ!

フランス時代は、パリのホテルに俳優のピーター・ローレや、作曲家たちと一緒に住みながら匿名で脚本の執筆などをして暮らしていたそうです。

なお、この頃に、フランスの人気女優ダニエル・ダリュー主演の仏映画「悪い種子」で監督デビューを果たしています。

ダニエル・ダリューは映画「ロシュフォールの恋人たち」や「たそがれの女心」などにも出演している女優さですね。

そして1934年(28才の年)に、ドイツ時代の友人から招かれて、アメリカへ渡ります。

アメリカでは、ニューヨーク州南東部のロングアイランドというところに兄が住んでいたので、そこに住みながらコロンビア映画社と6ヶ月の契約を結んだそうです。

ちなみに、その後は、「シャトー・マーモント」というハリウッドの高級ホテルの一室で、同じくドイツ移住組の俳優だったピーター・ローレと共同で生活しながら、脚本の売り込みを映画会社し続けるという日々を送っていたそうです。

なお、この頃に一度ドイツへ戻り母親にもアメリカ移住をすすめるも、再婚してドイツで暮らしていた母親はドイツに残ることを選択。そのため、この後にナチスによって強制収容所送りとなってしまい亡くなってしまったそうです。

戦争って、本当に恐ろしいですね。

ビリー・ワイルダーは、長らく下積み生活を送った後、ついに1937年(31才の年)に、パラマウント映画社に映画「シャンペン・ワルツ」の脚本の売り込みに成功します!

この映画は、1937年にミュージカル・コメディ映画として製作されて、フレッド・マクマレイやグラディス・スウォーザウトらが出演しました。

また、ワイルダーは、パラマウント社の脚本部長だった人物から、脚本家チャールズ・ブラケットを紹介されています。

そして早速、チャールズ・ブラケットと一緒に、ビリー・ワイルダーにとって師匠のような存在となる映画監督のエルンスト・ルビッチに会いにいき、なんとそのままルビッチ監督の映画「青髭八人目の妻」の脚本の仕事をもらってしまいます!

なんという行動力でしょう!

この「青髭八人目の妻」こそが、ビリー・ワイルダーとチャールズ・ブラケットが初めて共同執筆した脚本になります。

ちなみに、ゲイリー・クーパーとクローデット・コルベールが主演の最高に面白いコメディ映画で、私も大好きな作品の1本です☆

このビリー・ワイルダーとチャールズ・ブラケットは長年、仕事上のパートナーとして一緒に数々の名作を作り出していますね。

例をいくつか挙げると、やはりルビッチ監督のグレタ・ガルボ主演映画「ニノチカ」や、クローデット・コルベール&ドン・アメチー主演の映画「ミッドナイト」、そしてゲイリー・クーパー&バーバラ・スタンウィック主演の映画「教授と美女」などがあります。

まさに名脚本家コンビですね!

ただし、1941年のシャルル・ボワイエやオリヴィア・デ・ハヴィランド、ポーレット・ゴダードらが出演した映画「ホールド・バック・ザ・ドーン」で脚本を担当した際に、勝手に脚本を変えられてしまったという出来事が起こります。

これに憤慨したビリー・ワイルダーは、本作をきっかけにして脚本家から本格的に映画監督へと転身していきます。

ちなみに、この作品の監督は映画「ミッドナイト」などを手がけたミッチェル・ライゼンというアメリカの映画監督で、以前からビリー・ワイルダーとは仲が悪かったそうです。

ビリー・ワイルダーは、すでにフランスでは監督作品を1本撮っていましたが、ハリウッドでの映画監督作品としては、翌年の1942年にジンジャー・ロジャース主演の映画「少佐と少女」を発表したのが最初になります。

この作品以降は、監督はビリー・ワイルダーが務め、脚本はビリー・ワイルダーとチャールズ・ブラケットが担当するというスタイルでタッグを組むことになります。

1944年には、バーバラ・スタンウィック主演の映画「深夜の告白」を監督。この作品の脚本は小説家のレイモンド・チャンドラーと共同執筆しています。チャールズ・ブラケットは内容がインモラルすぎると気に入らなかったようです。

本作は大ヒットして、ビリー・ワイルダーは受賞こそ逃しましたが、アカデミー監督賞と脚本賞にノミネートされます!

そして、翌年の1945年には、映画「失われた週末」を監督。脚本は名コンビのチャールズ・ブラケットと共同執筆。主演は映画「少佐と少女」でもタッグを組んだレイ・ミランドです。

この作品で、ビリー・ワイルダーは、ついにアカデミー監督賞および脚本賞に輝きます☆作品自体も作品賞を受賞して、さらにレイ・ミランドは主演男優賞を受賞となりました。

さらに、1950年には、映画「サンセット大通り」を監督。脚本は名コンビのチャールズ・ブランケットと共同執筆して、こちらの作品でも、再びアカデミー脚本賞を受賞します。ほかにも美術監督・装置賞、そして作曲賞の3部門を制覇しました。

出演は、グロリア・スワンソンやウィリアム・ホールデン、そしてビリー・ワイルダーがルビッチの他に憧れていた映画監督のエリッヒ・フォン・シュトロハイムが俳優として出演しています。

さらにこの映画には、本人役でセシル・B・デミルやバスター・キートンなどの大物も登場するなど話題性も抜群でしたね。

ただ、この「サンセット大通り」を最後に、10年以上タッグを組んできた脚本家チャールズ・ブラケットとコンビを解消します。

ちょっとしたケンカが原因だったそうです。

その後、ワイルダーは映画「地獄の英雄」や「第十七捕虜収容所」、さらにオードリー・ヘプバーン主演の「麗しのサブリナ」、マリリン・モンロー主演の映画「七年目の浮気」、そしてジェームズ・スチュアート主演の「翼よ! あれが巴里の灯だ」などを監督します!

また、1957年(51才の年)に映画「昼下りの情事」で脚本家のI・A・L・ダイアモンドと初めて組み、意気投合!数々の傑作を一緒に生み出していくことになります。

まさにこの頃はワイルダー黄金期と言ってもいいくらい傑作をたくさん生み出していますよね!

続いて、マレーネ・ディートリヒ主演の映画「情婦」や、マリリン・モンロー&ジャック・レモン主演の「お熱いのがお好き」を発表して大ヒット。

ちなみに、この「お熱いのがお好き」は、アメリカ映画協会(AFI)が選出した「笑える映画ベスト100」で、堂々の第1位に選ばれました!

そして、再びジャック・レモンと組んだ映画「アパートの鍵貸します」では、アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞の3部門に輝きます☆

その後も、映画「ワン・ツー・スリー」や「あなただけ今晩は」「ねぇ!キスしてよ」などを精力的に監督。

その他にも、映画「恋人よ帰れ!我が胸に」「シャーロック・ホームズの冒険」「お熱い夜をあなたに」「お熱い夜をあなたに」「バディ・バディ」「悲愁」などを監督しています。

そして引退後には、1986年(80才の年)にアメリカ映画協会(AFI)から生涯功労賞を、さらに1988年(82才の年)には、アカデミー賞にてアービング・G・タルバーグ賞を授与されています。



さらに、2000年(94才の年)には、映画「ザ・エージェント」で知られる映画監督のキャメロン・クロウから約1年間に渡って(1997年(91才の年)〜1998年(92才の年))断続的にインタビューを受け、その内容をまとめた本「ワイルダーならどうする?」が出版されました。

実は、ワイルダーは自身の仕事部屋に、尊敬する映画監督の「エルンスト・ルビッチ監督ならどうした?(How would Lubitsch have done it?)」という言葉を飾っていたといいます。

その言葉をもじって、「ワイルダーならどうする?」というタイトルにしたということですね!秀逸なタイトルです♪ちなみに、原題は「Coversations with Wilder」なので、めずらしく邦題が勝っていると思います(笑)

ちなみに、三谷幸喜さんは、

アメリカはもちろん、日本でもワイルダーファンの監督はたくさんいるようですが、中でも三谷幸喜さんは、テレビ番組の企画で2000年、実際に晩年のビリー・ワイルダーに会いに行き、インタビューをするという機会に恵まれています。

その際に、ワイルダーにサインをもらっているのですが、その時に一緒に色紙に書いてもらった言葉は、「私ならこうする。ビリー・ワイルダー」だそうです。

そして、2002年3月27日に肺炎で亡くなっています。享年95才でした。


結婚は、2回で、

一度目は、1936年(30才の年)から1946年(40才の年)までで、子供は2人誕生するも1人は出産直後に亡くなってしまったそうです。

2度目は、歌手だった女性と、1949年(43才の年)から2002年(自身が95才で亡くなるまで)の間、実に約52年間もの間結婚生活を続けました。

2番目の妻とは、映画「失われた週末」にたまたまチョイ役で出演していたのを見たワイルダーが一目ぼれしたとか。

ちなみに、IMDbによれば、ビリー・ワイルダーはアカデミー賞でノミネートされた回数が、なんと21回にもおよびます!

受賞回数は、監督賞が2回、脚本賞は3回です。まさに、ハリウッドを代表する、巨匠中の巨匠ですね☆


ヒロインは、クローデット・コルベール!

クローデット・コルベール、実はフランス生まれの女優さんなんですね!

主にアメリカで活躍したコメディエンヌで、巨匠フランク・キャプラ監督の映画「或る夜の出来事」でアカデミー主演女優賞を受賞しました!

スクリューボール・コメディが得意で、賢くて可愛らしいお転婆娘役を演じさせたら随一だと思います♪

ちなみに、映画デビュー作は、フランク・キャプラ監督の映画「力漕一挺身」でした。しかし、興行成績は散々で、キャプラ監督自身も失敗作だったと認めているとか。よく、その後、再び本作「或る夜の出来事」でタッグを組みましたね(笑)

Wikipediaによると、実は「或る夜の出来事」への出演にクローデット・コルベールは最初しぶっていたようで、法外に高いギャラを要求したところ、意外にも通ってしまったので引き受けたらしいです。

クローデット・コルベールが断られると見込んでつきつけた内容としては「撮影期間は4週間で出演料は5万ドル」という要求だったそう。当時コロンビア映画の創設者にしてトップだったハリー・コーンが承諾してしまったんですね(笑)

結果として、高額なギャラとオスカー像という名誉まで掴んでしまったというわけです☆人生わからないものですね〜♪


ちなみに、映画「或る夜の出来事」で共演したクラーク・ゲーブルとは、6年後の映画「ブーム・タウン」(1940)でも、再び共演を果たしています。この作品にはスペンサー・トレイシーも出演していて豪華キャスティングとなっています☆


ほかにも、セシル・B・デミル監督の映画「クレオパトラ」(1934)に主演してクレオパトラ役をセクシーな衣装で演じていたり、

エルンスト・ルビッチ監督の映画「青髭八人目の妻」(1938)に主演して、ゲイリー・クーパーと競演したりしています。

「青髭八人目の妻」は、原作がブロードウェイのミュージカル作品で、脚本にはビリー・ワイルダーが参加しています。

翌1939年では、「怒りの葡萄」や「わが谷は緑なりき」のジョン・フォード監督映画「モホークの太鼓」でヘンリー・フォンダと共演!


1942年には、映画「レディ・イヴ」で有名なプレストン・スタージェス監督の「パームビーチ・ストーリー」(結婚五年目)に主演。二枚目 西部劇スターのジョエル・マクリーと競演しています。

この映画には「若草物語」の母親役で有名なメアリー・アスターも出演しています。


そして、1946年には「若草物語」や「心の旅路」などで知られるマーヴィン・ルロイ監督の映画「恋愛超特急」で、ジョン・ウェインと共演。


また、なんと1950年の戦争映画「三人帰る(三人の帰宅)」では、千葉県出身で単身渡米してアメリカで成功した日本人俳優の早川雪洲とも共演しています。

余談ですが、早川雪洲さんて、アカデミー助演男優賞にノミネートまでされているんですね!スゴイ!!さらに、アメリカ女性の間で人気があったらしいですよ♪ワオ!


1936年には年収30万ドル(約3,000万円)を稼ぎ、最も稼いだ女優の仲間入りをしたそうです。

そうそう、彼女がブレイクしたきっかけは映画「女は嘘つき」(1929)がヒットしたためだったそうです。この作品まだ観たことがないので、見てみたいなぁ〜!



クローデット・コルベールは50歳前後になる1950年代には、映画への出演をほぼなくして、TVドラマや舞台に時々出演しながら、ニューヨークはマンハッタンにあるアパートと、カリブ海にある島国バルバドスに所有していた家に住んでいたそうです。亡くなったのもバルバドスですから、きっと、美しい島なんでしょうね☆

ちなみに、1958年の舞台「The Marriage Go-Round」ではトニー賞にノミネートされているし、1987年のTVドラマ「グレンヴィル家の秘密」では、ゴールデン・グローブ賞 助演女優賞を受賞しています。

私生活では、2度結婚していますが、どちらの結婚でも子供はできなかったようです。

↓フランク・キャプラがAFI賞生涯功労賞を1982年に受賞した際にお祝いのコメントを述べる晩年のクローデット・コルベール(当時79才だと思うのですが、可愛らしくて若いですね!)




→ちなみに、私が運営しているサイト「すごスタ図鑑」では、クローデット・コルベールについて、動画や画像などを使って詳しく特集しているページもありますので、興味のある方はどうぞ♪


主演は、ゲーリー・クーパー!

ゲイリー・クーパーは、もう皆さんご存知のハリウッド界きってのスーパースターですよね!

生涯で、アカデミー賞主演男優賞を2度、受賞しています。

1941年(40才の年)の映画「ヨーク軍曹」と、1952(51才の年)年の映画「真昼の決闘」です。

また、1960年(59才の年)にはアカデミー名誉賞も受賞しています。

他にも、フランク・キャプラ監督映画「オペラハット」と「群衆」、エルンスト・ルビッチ監督の映画「生活の設計」と「青髭八人目の妻」(こちらは脚本をビリー・ワイルダーが担当)、そしてビリー・ワイルダー監督、オードリー・ヘプバーン共演の映画「昼下りの情事」など、人気映画監督たちとタッグを組んだ作品が多々あります。

さらに、イングリッド・バーグマンと共演したヘミングウェイ原作の映画「誰が為に鐘は鳴る」、ハワード・ホークス監督&ビリー・ワイルダー脚本の映画「教授と美女」などなど、数多くの話題作・人気作で主演を務めました。

また、映画「打撃王」ではベーブ・ルースなど当時の大物野球選手たちとも共演しています。

さまざまな人から本当に愛された俳優で、特に巨匠と言われる当時の監督達とはほとんと仕事をしているんじゃないでしょうか。

まさに古き良きアメリカ時代の映画スターという感じです!誠実で、そして元祖イケメン俳優と言えますね!

ちなみに、人気俳優のブルース・ウィリスは、尊敬している俳優の1人としてゲイリー・クーパーを挙げているそうで、実際に映画「ダイ・ハード」の中で、「それはゲイリー・クーパーだ!アホタレ」というセリフまであります(笑)これは、ゲイリー・クーパーがグレース・ケリーと共演した映画「真昼の決闘」のことをネタにしているシーンですね。


デヴィッド・ニーヴン

デイヴィッド・ニーヴンは、1910年生まれのイギリスの映画俳優です。

代表作としては、映画「八十日間世界一周」や「007 カジノ・ロワイヤル」「旅路」「ピンクの豹」など多数あります。

受賞歴としては、1958年(48才の年)の映画「旅路」でアカデミー主演男優賞を受賞!

この映画で、ゴールデングローブ賞主演男優賞にも輝いています。ちなみに、ゴールデン・グローヴ賞では、映画「月蒼くして」でも男優賞を受賞しています。

他にも、ローレンス・オリヴィエ出演の映画「嵐が丘」や、クローデット・コルベール&ゲイリー・クーパー主演の「青髭八人目の妻」、さらにピーター・フォーク出演の映画「名探偵登場」、そしてベティ・デイヴィスも出演していた映画「ナイル殺人事件」などのヒット作にも多数出演。

また、エキストラ時代には、実はクローデット・コルベール主演の映画「クレオパトラ」や、クラーク・ゲイブルやチャールズ・ロートン主演の映画「戦艦バウンティ号の叛乱」などにも出演していたんですね!

デイヴィッド・ニヴンは、軍人、セールスマンと様々な職を転々とした後、アメリカへ渡りエキストラとなります。

やがて映画「グランドホテル」などで知られるエドマンド・グールディング監督や、大物プロデューサーでMGMの創設者でもあるサミュエル・ゴールドウィンらと知り合い、本格的に俳優に。

当時は「第2のロナルド・コールマン」として売り出されていたとか。

ロナルド・コールマンは、映画「心の旅路」や「失はれた地平線」などで有名なイケメン俳優で、日本でも「コールマンひげ」という愛称で人気がありました。

ビックリしたのは、1952年(42才の年)に、俳優仲間4人で「フォー・スター・テレビジョン・カンパニー」という製作会社を設立ています。

4人の設立者のうち残り3人は、

映画「四十二番街」などで知られる俳優ディック・パウエル、

映画「ガス燈」や「邂逅(めぐりあい)」などで知られるフランスのイケメン俳優シャルル・ボワイエ、

そして、映画「ハイ・シェラ」などで知られる女優アイダ・ルピノ

になります。

この会社は成功して、4年後には、会社の権利を、なんと当時の1,000万ドル(約10億円)で売却しています。

私生活では、30才の年に結婚して2人の息子に恵まれますが、妻がパーティーで階段から転落死するという悲劇に見舞われています。

その後、38才の年にスウェーデン人のモデルと再婚して、2人の養女を迎えています。


いかがでしたでしょうか?


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クローデット・コルベール主演映画「パームビーチ・ストーリー」

皆さんは、映画「パームビーチ・ストーリー」(1942:原題:The Palm Beach Story、別邦題:結婚五年目)をご覧になったことはありますか?

主演はハリウッド人気No1のコメディエンヌ、クローデット・コルベールです!

共演は、映画「海外特派員」などで知られるジョエル・マクリーで、監督は、映画「レディ・イヴ」などで知られるプレストン・スタージェスです。

典型的なスクリューボール・コメディで、ドタバタ面白おかしく観られる作品です。同じクローデット・コルベールの道中コメディなら「ミッドナイト」のほうが個人的には好きなのですが、こちらの作品もなかなか面白い作品だと思います♪

なんというか、クローデット・コルベールのコメディものは、彼女の「生きていくたくましさ」のようなものを感じられるので、いつも観ていて元気をもらえます☆




監督は、プレストン・スタージェス

プレストン・スタージェスは、1898年生まれのアメリカの脚本家・映画監督。

初めて脚本家から映画監督に挑戦して成功した監督としても有名で、プレストン・スタージェスが転身したのをみて、ビリー・ワイルダーも脚本家から映画監督になったといわれています。

1940年(42才の年)には、監督デビュー作となり脚本も担当した映画「偉大なるマッギンティ」でアカデミー脚本賞を受賞しました!

なお、この作品で初めて映画監督をやらせてもらう際には、パラマウント映画の上層部に「脚本料は1ドルで構わない」とまで主張したそうです。すごい意気込みですね。

作品としては、スクリューボール・コメディがほとんどで、

代表作としては、バーバラ・スタンウィック&ヘンリー・フォンダ主演の映画「レディ・イヴ」や、ヴェロニカ・レイク主演の映画「サリヴァンの旅」、クローデット・コルベール主演の映画「結婚五年目」などがあります。

他にも、映画「奥様は魔女」の製作プロデューサーを務めていたり、大富豪のハワード・ヒューズと一緒にカリフォルニア・ピクチャーズという映画会社を設立したりもしています。

晩年はフランスに移住して脚本や監督を務めました。

生涯で4度の結婚をしています。

ちなみに、母親は化粧品会社を経営していて、スタージェス自身も若い頃にニューヨーク支店で働いていたそうです。その後、なんと発明家に転身。さらに演劇に目覚めて劇作家になったという、なかなか破天荒な経歴の持ち主です(笑)


ヒロインは、クローデット・コルベール!

クローデット・コルベール、実はフランス生まれの女優さんなんですね!

主にアメリカで活躍したコメディエンヌで、巨匠フランク・キャプラ監督の映画「或る夜の出来事」でアカデミー主演女優賞を受賞しました!

スクリューボール・コメディが得意で、賢くて可愛らしいお転婆娘役を演じさせたら随一だと思います♪

ちなみに、映画デビュー作は、フランク・キャプラ監督の映画「力漕一挺身」でした。しかし、興行成績は散々で、キャプラ監督自身も失敗作だったと認めているとか。よく、その後、再び本作「或る夜の出来事」でタッグを組みましたね(笑)

Wikipediaによると、実は「或る夜の出来事」への出演にクローデット・コルベールは最初しぶっていたようで、法外に高いギャラを要求したところ、意外にも通ってしまったので引き受けたらしいです。

クローデット・コルベールが断られると見込んでつきつけた内容としては「撮影期間は4週間で出演料は5万ドル」という要求だったそう。当時コロンビア映画の創設者にしてトップだったハリー・コーンが承諾してしまったんですね(笑)

結果として、高額なギャラとオスカー像という名誉まで掴んでしまったというわけです☆人生わからないものですね〜♪


ちなみに、映画「或る夜の出来事」で共演したクラーク・ゲーブルとは、6年後の映画「ブーム・タウン」(1940)でも、再び共演を果たしています。この作品にはスペンサー・トレイシーも出演していて豪華キャスティングとなっています☆


ほかにも、セシル・B・デミル監督の映画「クレオパトラ」(1934)に主演してクレオパトラ役をセクシーな衣装で演じていたり、

エルンスト・ルビッチ監督の映画「青髭八人目の妻」(1938)に主演して、ゲイリー・クーパーと競演したりしています。

「青髭八人目の妻」は、原作がブロードウェイのミュージカル作品で、脚本にはビリー・ワイルダーが参加しています。

翌1939年では、「怒りの葡萄」や「わが谷は緑なりき」のジョン・フォード監督映画「モホークの太鼓」でヘンリー・フォンダと共演!


1942年には、映画「レディ・イヴ」で有名なプレストン・スタージェス監督の「パームビーチ・ストーリー」(結婚五年目)に主演。二枚目 西部劇スターのジョエル・マクリーと競演しています。

この映画には「若草物語」の母親役で有名なメアリー・アスターも出演しています。


そして、1946年には「若草物語」や「心の旅路」などで知られるマーヴィン・ルロイ監督の映画「恋愛超特急」で、ジョン・ウェインと共演。


また、なんと1950年の戦争映画「三人帰る(三人の帰宅)」では、千葉県出身で単身渡米してアメリカで成功した日本人俳優の早川雪洲とも共演しています。

余談ですが、早川雪洲さんて、アカデミー助演男優賞にノミネートまでされているんですね!スゴイ!!さらに、アメリカ女性の間で人気があったらしいですよ♪ワオ!


1936年には年収30万ドル(約3,000万円)を稼ぎ、最も稼いだ女優の仲間入りをしたそうです。

そうそう、彼女がブレイクしたきっかけは映画「女は嘘つき」(1929)がヒットしたためだったそうです。この作品まだ観たことがないので、見てみたいなぁ〜!



クローデット・コルベールは50歳前後になる1950年代には、映画への出演をほぼなくして、TVドラマや舞台に時々出演しながら、ニューヨークはマンハッタンにあるアパートと、カリブ海にある島国バルバドスに所有していた家に住んでいたそうです。亡くなったのもバルバドスですから、きっと、美しい島なんでしょうね☆

ちなみに、1958年の舞台「The Marriage Go-Round」ではトニー賞にノミネートされているし、1987年のTVドラマ「グレンヴィル家の秘密」では、ゴールデン・グローブ賞 助演女優賞を受賞しています。

私生活では、2度結婚していますが、どちらの結婚でも子供はできなかったようです。

↓フランク・キャプラがAFI賞生涯功労賞を1982年に受賞した際にお祝いのコメントを述べる晩年のクローデット・コルベール(当時79才だと思うのですが、可愛らしくて若いですね!)




→ちなみに、私が運営しているサイト「すごスタ図鑑」では、クローデット・コルベールについて、動画や画像などを使って詳しく特集しているページもありますので、興味のある方はどうぞ♪


ジョエル・マクリー

ジョエル・マクリーは、1905年生まれのアメリカの俳優です。

1929年(24才の年)にMGMと契約。さらに翌年にはRKO社に移籍した後、シャーリー・テンプルやミリアム・ホプキンスらと共演し、主に西部劇を中心に人気を博しました。

代表作としては、ハンフリー・ボガートと共演した映画「デッドエンド」や、バーバラ・スタンウィックと共演した「大平原」、ヒッチコック映画「海外特派員」、ヴェロニカ・レイクと共演した映画「サリヴァンの旅」などがあります。

また、映画「パームビーチ・ストーリー(結婚五年目)」ではクローデット・コルベールとも共演していますね。

個人的には、若い頃の宣材写真がチャーリー・シーンやマーティン・シーンに少し似ていると感じました(笑)二枚目俳優ですね。


メアリー・アスター

メアリー・アスターは、1906年生まれのアメリカの女優です。

1941年(35才の年)にベティ・デイヴィス主演の映画「偉大な嘘」でアカデミー助演女優賞に輝きました。

代表作としては、ハンフリー・ボガートと共演した映画「マルタの鷹」や、クラーク・ゲーブルとジーン・ハーロウ主演の映画「紅塵」、ウィリアム・ワイラー監督の映画「孔雀夫人」があります。

他にも、クローデット・コルベール主演の映画「パームビーチ・ストーリー」と「ミッドナイト」、ジュディ・ガーランド主演映画「若草の頃」での母親役、そしてエリザベス・テイラーも出演したマーヴィン・ルロイ監督の映画「若草物語」での母親役などにも出演しています。

ちなみに、美人コンテストに入賞したことがきっかけで、映画界入りしたそうです。

私生活としては、ハワード・ホークス監督の弟と結婚していたほか、生涯で4度の結婚をしています。


いかがでしたでしょうか?


あなたなら映画「パームビーチ・ストーリー」を観て、どんな感想を持ちますか?

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クローデット・コルベール主演映画「ミッドナイト」のドン・アメチーがブラピに見えてしかたない(笑)

皆さんは、映画「ミッドナイト」(1939:原題:Midnight)をご覧になったことはありますか?

クローデット・コルベールと、ドン・アメチー主演のコメディ映画です。

監督は、映画「淑女と拳骨」や「囁きの木陰」で知られるミッチェル・ライゼン。

もう、この映画は、クローデット・コルベールとドン・アメチーのコンビが最高すぎて、最初から最期までゲラゲラ笑えました♪

特に、クローデット・コルベールが男を手玉にとってしまう賢い女性役という、ハマリ所を演じているため楽しめます。

また、若い頃のドン・アメチーって、ブラピに似てる気が・・・(笑)

他にも、ドリュー・バリモアの祖父にあたるジョン・バリモアや、映画「マルタの鷹」や「偉大な嘘」などへの出演でも知られるメアリー・アスターなども出演していますよ。

夜中に1人でも観ていても楽しい、お気に入り映画の1本です☆

予告編動画は残念ながら見つかりませんでした・・・(泣)


監督は、ミッチェル・ライゼン

ミッチェル・ライゼンは、1898年生まれのアメリカの映画監督であり衣装デザイナーでもありました。

代表作としては、ジーン・アーサー主演の映画「街は春風」や、オリヴィア・デ・ハヴィランド主演の映画「遥かなる我が子」、そしてクローデット・コルベール主演の映画「ミッドナイト」「淑女と拳骨」「囁きの木陰」などがありますね。

クローデット・コルベールとは多数の作品でタッグを組んでいたようです。


ヒロインは、クローデット・コルベール!

クローデット・コルベール、実はフランス生まれの女優さんなんですね!

主にアメリカで活躍したコメディエンヌで、巨匠フランク・キャプラ監督の映画「或る夜の出来事」でアカデミー主演女優賞を受賞しました!

スクリューボール・コメディが得意で、賢くて可愛らしいお転婆娘役を演じさせたら随一だと思います♪

ちなみに、映画デビュー作は、フランク・キャプラ監督の映画「力漕一挺身」でした。しかし、興行成績は散々で、キャプラ監督自身も失敗作だったと認めているとか。よく、その後、再び本作「或る夜の出来事」でタッグを組みましたね(笑)

Wikipediaによると、実は「或る夜の出来事」への出演にクローデット・コルベールは最初しぶっていたようで、法外に高いギャラを要求したところ、意外にも通ってしまったので引き受けたらしいです。

クローデット・コルベールが断られると見込んでつきつけた内容としては「撮影期間は4週間で出演料は5万ドル」という要求だったそう。当時コロンビア映画の創設者にしてトップだったハリー・コーンが承諾してしまったんですね(笑)

結果として、高額なギャラとオスカー像という名誉まで掴んでしまったというわけです☆人生わからないものですね〜♪


ちなみに、映画「或る夜の出来事」で共演したクラーク・ゲーブルとは、6年後の映画「ブーム・タウン」(1940)でも、再び共演を果たしています。この作品にはスペンサー・トレイシーも出演していて豪華キャスティングとなっています☆


ほかにも、セシル・B・デミル監督の映画「クレオパトラ」(1934)に主演してクレオパトラ役をセクシーな衣装で演じていたり、

エルンスト・ルビッチ監督の映画「青髭八人目の妻」(1938)に主演して、ゲイリー・クーパーと競演したりしています。

「青髭八人目の妻」は、原作がブロードウェイのミュージカル作品で、脚本にはビリー・ワイルダーが参加しています。

翌1939年では、「怒りの葡萄」や「わが谷は緑なりき」のジョン・フォード監督映画「モホークの太鼓」でヘンリー・フォンダと共演!


1942年には、映画「レディ・イヴ」で有名なプレストン・スタージェス監督の「パームビーチ・ストーリー」(結婚五年目)に主演。二枚目 西部劇スターのジョエル・マクリーと競演しています。

この映画には「若草物語」の母親役で有名なメアリー・アスターも出演しています。


そして、1946年には「若草物語」や「心の旅路」などで知られるマーヴィン・ルロイ監督の映画「恋愛超特急」で、ジョン・ウェインと共演。


また、なんと1950年の戦争映画「三人帰る(三人の帰宅)」では、千葉県出身で単身渡米してアメリカで成功した日本人俳優の早川雪洲とも共演しています。

余談ですが、早川雪洲さんて、アカデミー助演男優賞にノミネートまでされているんですね!スゴイ!!さらに、アメリカ女性の間で人気があったらしいですよ♪ワオ!


1936年には年収30万ドル(約3,000万円)を稼ぎ、最も稼いだ女優の仲間入りをしたそうです。

そうそう、彼女がブレイクしたきっかけは映画「女は嘘つき」(1929)がヒットしたためだったそうです。この作品まだ観たことがないので、見てみたいなぁ〜!



クローデット・コルベールは50歳前後になる1950年代には、映画への出演をほぼなくして、TVドラマや舞台に時々出演しながら、ニューヨークはマンハッタンにあるアパートと、カリブ海にある島国バルバドスに所有していた家に住んでいたそうです。亡くなったのもバルバドスですから、きっと、美しい島なんでしょうね☆

ちなみに、1958年の舞台「The Marriage Go-Round」ではトニー賞にノミネートされているし、1987年のTVドラマ「グレンヴィル家の秘密」では、ゴールデン・グローブ賞 助演女優賞を受賞しています。

私生活では、2度結婚していますが、どちらの結婚でも子供はできなかったようです。

↓フランク・キャプラがAFI賞生涯功労賞を1982年に受賞した際にお祝いのコメントを述べる晩年のクローデット・コルベール(当時79才だと思うのですが、可愛らしくて若いですね!)




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主演俳優は、ドン・アメチー

ドン・アメチーは、1908年生まれのアメリカの俳優です。

1985年(77才の年)に映画「コクーン」でアカデミー助演男優賞を受賞しています。

若い頃のドン・アメチーは、ちょっとブラピ(ブラッド・ピット)に似てると思うのは私だけでしょうか?(笑)

その他、代表作としては、

ヴェネツィア国際映画祭で男優賞を受賞した映画「週末はマフィアと!」や、
エルンスト・ルビッチ監督の映画「天国は待ってくれる」、
エディ・マーフィー主演の映画「大逆転」「星の王子 ニューヨークへ行く」、

などがあります。

映画デビューは、1935年(27才の年)でした。

さらに、TVでも「刑事コロンボ」シリーズの「二枚のドガの絵」というエピソードで顧問弁護士役を演じています。

私生活では、1932年(24才の年)に結婚して、6人の子供が誕生。

奥さんが亡くなった1986年(アメチーが78才の年)まで生涯添い遂げています。


ジョン・バリモア

ジョン・バリモアは、ドリュー・バリモアのおじいさんにあたるアメリカの俳優ですね。3番目の妻との間に生まれた娘がドリュー・バリモアです。

バリモア三兄弟として、兄のライオネル・バリモア、姉のエセル・バリモア、そしてジョン・バリモアの兄弟は全員役者として人気を博しました。

なかでもジョン・バリモアはイケメン俳優として絶大な人気を誇りました。

ジョン・バリモアは、若い頃には画家や漫画家を目指していたようですが、23才頃から俳優を志し、ブロードウェイでシェイクスピア原作の舞台「ハムレット」などを演じ人気スターになります。

その後、30代の頃には、兄のライオネル・バリモアが所属していたMGM社へ移籍して、映画界でも活躍しました。

代表作としては、アカデミー作品賞を受賞したオールスター映画「グランド・ホテル」や、キャサリン・ヘプバーンの映画デビュー作「愛の嗚咽」、MGM社のオールスター映画第2弾「晩餐八時」などがあります。

そのほかハワード・ホークス監督映画「特急二十世紀」などにも出演。

また、1922年のサイレント映画「シャーロック・ホームズ」では、名探偵シャーロック・ホームズを演じ、1932年の映画「アルセーヌ・ルパン」では大怪盗ルパン1世を演じています。

私生活では、Wikipediaによると、14才頃からアルコール依存症に悩み、生涯に4回の結婚をしていますが全て離婚に終わっています。


メアリー・アスター

メアリー・アスターは、1906年生まれのアメリカの女優です。

1941年(35才の年)にベティ・デイヴィス主演の映画「偉大な嘘」でアカデミー助演女優賞に輝きました。

代表作としては、ハンフリー・ボガートと共演した映画「マルタの鷹」や、クラーク・ゲーブルとジーン・ハーロウ主演の映画「紅塵」、ウィリアム・ワイラー監督の映画「孔雀夫人」があります。

他にも、クローデット・コルベール主演の映画「パームビーチ・ストーリー」、ジュディ・ガーランド主演映画「若草の頃」、そしてエリザベス・テイラーも出演したマーヴィン・ルロイ監督の映画「若草物語」などにも出演しています。

ちなみに、美人コンテストに入賞したことがきっかけで、映画界入りしたそうです。

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クローデット・コルベールがパンケーキ屋さんのオーナーに!?映画「模倣の人生」で人生大逆転を疑似体験できちゃうよ☆

皆さんは、映画「模倣の人生」(1934:原題:Imitation of Life)をご覧になったことはありますか?

ハリウッドきってのコメディエンヌで、人気のオスカー受賞女優クローデット・コルベール主演の映画です。

原作は、アメリカの女優小説家ファニー・ハーストが書いた小説で、1959年にもラナ・ターナー主演の「悲しみは空の彼方に」として映画化されています。

人種差別問題を取り上げた物語であるとともに、女性2人がゼロからパンケーキ屋を始めて成功させていくというサクセスストーリーや恋愛も盛り込まれた内容の濃い映画作品です。

クローデット・コルベール好きなら退屈せずに観られる1本だと思います。




監督は、ジョン・M・スタール

ジョン・M・スタールは、1886年生まれの、アゼルバイジャン共和国出身のアメリカの映画監督です。

代表作としては、クローデット・コルベール主演の映画「模倣の人生」や、グレゴリー・ペック主演の映画「王国の鍵」、そして1939年年のシャルル・ボワイエ&アイリーン・ダン主演の映画「最後の抱擁」などがあります。

余談ですが、1939年には同じくシャルル・ボワイエ&アイリーンのコンビは別の監督レオ・マッケリーの映画「邂逅」にも出演しています。同じ年に同じ主演2人が2本の映画に主演ってスゴイですね(笑)

結婚は2度。1度目は、脚本家で舞台女優でもあったフランシス・アイリーン・リールズと32才の年に結婚しましたが、40才の年に死別しています。

その後、45才の年にロクサナ・マクゴーワンという女優と再婚して、生涯添い遂げています。


ヒロインは、クローデット・コルベール!

クローデット・コルベール、実はフランス生まれの女優さんなんですね!

主にアメリカで活躍したコメディエンヌで、巨匠フランク・キャプラ監督の映画「或る夜の出来事」でアカデミー主演女優賞を受賞しました!

スクリューボール・コメディが得意で、賢くて可愛らしいお転婆娘役を演じさせたら随一だと思います♪

ちなみに、映画デビュー作は、フランク・キャプラ監督の映画「力漕一挺身」でした。しかし、興行成績は散々で、キャプラ監督自身も失敗作だったと認めているとか。よく、その後、再び本作「或る夜の出来事」でタッグを組みましたね(笑)

Wikipediaによると、実は「或る夜の出来事」への出演にクローデット・コルベールは最初しぶっていたようで、法外に高いギャラを要求したところ、意外にも通ってしまったので引き受けたらしいです。

クローデット・コルベールが断られると見込んでつきつけた内容としては「撮影期間は4週間で出演料は5万ドル」という要求だったそう。当時コロンビア映画の創設者にしてトップだったハリー・コーンが承諾してしまったんですね(笑)

結果として、高額なギャラとオスカー像という名誉まで掴んでしまったというわけです☆人生わからないものですね〜♪


ちなみに、映画「或る夜の出来事」で共演したクラーク・ゲーブルとは、6年後の映画「ブーム・タウン」(1940)でも、再び共演を果たしています。この作品にはスペンサー・トレイシーも出演していて豪華キャスティングとなっています☆


ほかにも、セシル・B・デミル監督の映画「クレオパトラ」(1934)に主演してクレオパトラ役をセクシーな衣装で演じていたり、

エルンスト・ルビッチ監督の映画「青髭八人目の妻」(1938)に主演して、ゲイリー・クーパーと競演したりしています。

「青髭八人目の妻」は、原作がブロードウェイのミュージカル作品で、脚本にはビリー・ワイルダーが参加しています。

翌1939年では、「怒りの葡萄」や「わが谷は緑なりき」のジョン・フォード監督映画「モホークの太鼓」でヘンリー・フォンダと共演!


1942年には、映画「レディ・イヴ」で有名なプレストン・スタージェス監督の「パームビーチ・ストーリー」(結婚五年目)に主演。二枚目 西部劇スターのジョエル・マクリーと競演しています。

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そして、1946年には「若草物語」や「心の旅路」などで知られるマーヴィン・ルロイ監督の映画「恋愛超特急」で、ジョン・ウェインと共演。


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ルイーズ・ビーヴァース

ルイーズ・ビーヴァースは、1902年生まれの、アメリカの女優です。

代表作としては、1934(32才の年)に出演したクローデット・コルベール主演の映画「模倣の人生」のほか、

レオ・マッケリー監督ゲイリー・クーパー主演の映画「善人サム」、

レオ・マッケリー監督の映画「明日は来らず」、

ワーナー・バクスターやジンジャー・ロジャースが出演した映画「四十二番街」、

ビング・クロスビー&フレッド・アステア主演の映画「スイング・ホテル」、

マーナ・ロイ&ドナ・リード出演の映画「影なき男の影」などがあります。

また、TVドラマでは、シットコム「Beulah」や「The Danny Thomas Show」などにも出演しました。


ウォーレン・ウィリアム

ウォーレン・ウィリアムは、1894年生まれの、アメリカの俳優です。

1934年に映画「The Case of the Howling Dog」でペリー・メイスン役を初めて演じた俳優としても知られています。

ペリー・メイスンというのは、アメリカの作家E・S・ガードナーの推理小説に登場する弁護士で、弁護士「ペリー・メイスン」シリーズは、これまで何回も映画やTVドラマ化されている大人気シリーズです。

代表作としては、フランク・キャプラ監督の映画「一日だけの淑女」でのギャングのボス役や、クローデット・コルベール主演映画「クレオパトラ」でのジュリアス・シーザー役、映画「模倣の人生」、そしてベティ・デイヴィス主演の映画「マルタの鷹」(1936)などがあります。



いかがでしたでしょうか?


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クローデット・コルベール主演の映画「クレオパトラ」はセクシー&男を手玉にとる賢女の話♪セシル・B・デミル監督の豪華絢爛なセットにも注目☆

皆さんは、映画「クレオパトラ」(1934:原題:Cleopatra)をご覧になったことはありますか?

世紀の美女と言われたエジプトの女王、クレオパトラの最期を描いた映画。

主演のクローデット・コルベールがセクシーな衣装でクレオパトラ役を演じています。

頭の切れる処世術に長けたクレオパトラを描いていて、さすがクローデット・コルベール!という感じでいい味出してますね。

本作は当時、大ヒットして、アカデミー撮影賞を受賞しました!

ただ、個人的には、物語として喜劇なのか悲劇なのかどっちつかずな感じがしてしまい、ちょっと退屈だったかも(汗)

カラー映像で観たらもっと感動したのかもなぁ〜☆

クレオパトラは、1963年にもエリザベス・テイラー主演で映画化されているので(こちらはカラー作品)、そちらと見比べてみるのもいいかもですね♪

今回ご紹介するクローデット・コルベール主演の映画「クレオパトラ」の監督は、伝説の映画製作者セシル・B・デミルです!

残念ながら、予告編動画は見つかりませんでした。


監督は、セシル・B・デミル

セシル・B・デミルは、1881年生まれの、アメリカの映画監督・映画プロデューサーです。

両親は脚本家です。しかし、12才の時に父親が他界。

母親は生計を立てるため、なんと女子校と劇団を設立したそうです。

また、セシル・B・デミルの兄も映画界で脚本家・映画監督として活躍しています。

1900年(19才の年)、セシル・B・デミルは演劇学校で演技を学んだ後、最初は舞台俳優としてデビューして、12年間、俳優を続けていました。

また、同時に母親が設立した劇団のマネジメントなどにも参加していたそうです。

1902年(21才の年)には、若くして女優と結婚。ハリウッドではめずらしく、生涯この妻と添い遂げました。二人の間には4人の子供が誕生しています。

その後、サイレント映画の監督を経験し、1913年(32才の年)にパラマウント映画社の前身となる映画会社で、ハリウッド初の長編映画「Squaw Man」を監督して人気を得ます。

ビックリしたのは、日本出身でアメリカで大人気になった映画スター、早川雪洲(はやかわ せっしゅう)をスターダムに押し上げたのは、セシル・B・デミルが1915年(34才の年)に監督した映画「チート(The Cheat )」に主演したためだったんですね!(もっとも、この作品では日本人があまり良い描かれ方をされていませんが・・・汗)

セシル・B・デミルは運転手や付き人にも日本人を採用していたようです。チャップリンと同じく日本人の勤勉さをかっていたという理由でしょうかね?

第一次世界大戦後の1920年代には、セシル・B・デミルはヒット作品を連発して一気に実力者として名を馳せるようになります。

セシル・B・デミルの映画の特徴としては、劇中で本物の豪華なジュエリーや衣装を使った派手な演出で、男性のみならず女性客をも魅了したことだと言われているようです☆

さらに1923年(42才の年)の映画「十誡」以降、1927年(46才の年)の映画「キング・オブ・キングス」、1932年(51才の年)のクローデット・コルベールやチャールズ・ロートン、フレドリック・マーチらが出演した映画「暴君ネロ」、そして再びクローデット・コルベール主演の1934年(53才の年)の映画「クレオパトラ」など、歴史映画を次々と成功させています。

Wikipedia(日本語版)によると、あまりの人気ぶりに当時のパラマウント映画は、デミル王国とまで言われていたそうです。

また、1927年に設立された、アカデミー賞の選考・授与などを行っている、映画業界人たちによって結成されている団体、映画芸術科学アカデミーの設立者36名のうちの1人にも加わっています。

この設立者たちの中には、他にもMGMの共同創始者の1人、ルイス・B・メイヤーや、ワーナーブラザース創設者のハリー・ワーナー、ジャック・ワーナー、さらに、人気俳優のダグラス・フェアバンクスや、人気コメディアンのハロルド・ロイド、人気女優のメアリー・ピックフォードなどがいました。


ヒロインは、クローデット・コルベール!

クローデット・コルベール、実はフランス生まれの女優さんなんですね!

主にアメリカで活躍したコメディエンヌで、巨匠フランク・キャプラ監督の映画「或る夜の出来事」でアカデミー主演女優賞を受賞しました!

スクリューボール・コメディが得意で、賢くて可愛らしいお転婆娘役を演じさせたら随一だと思います♪

ちなみに、映画デビュー作は、フランク・キャプラ監督の映画「力漕一挺身」でした。しかし、興行成績は散々で、キャプラ監督自身も失敗作だったと認めているとか。よく、その後、再び本作「或る夜の出来事」でタッグを組みましたね(笑)

Wikipediaによると、実は「或る夜の出来事」への出演にクローデット・コルベールは最初しぶっていたようで、法外に高いギャラを要求したところ、意外にも通ってしまったので引き受けたらしいです。

クローデット・コルベールが断られると見込んでつきつけた内容としては「撮影期間は4週間で出演料は5万ドル」という要求だったそう。当時コロンビア映画の創設者にしてトップだったハリー・コーンが承諾してしまったんですね(笑)

結果として、高額なギャラとオスカー像という名誉まで掴んでしまったというわけです☆人生わからないものですね〜♪


ちなみに、映画「或る夜の出来事」で共演したクラーク・ゲーブルとは、6年後の映画「ブーム・タウン」(1940)でも、再び共演を果たしています。この作品にはスペンサー・トレイシーも出演していて豪華キャスティングとなっています☆


ほかにも、セシル・B・デミル監督の映画「クレオパトラ」(1934)に主演してクレオパトラ役をセクシーな衣装で演じていたり、

エルンスト・ルビッチ監督の映画「青髭八人目の妻」(1938)に主演して、ゲイリー・クーパーと競演したりしています。

「青髭八人目の妻」は、原作がブロードウェイのミュージカル作品で、脚本にはビリー・ワイルダーが参加しています。

翌1939年では、「怒りの葡萄」や「わが谷は緑なりき」のジョン・フォード監督映画「モホークの太鼓」でヘンリー・フォンダと共演!


1942年には、映画「レディ・イヴ」で有名なプレストン・スタージェス監督の「パームビーチ・ストーリー」(結婚五年目)に主演。二枚目 西部劇スターのジョエル・マクリーと競演しています。

この映画には「若草物語」の母親役で有名なメアリー・アスターも出演しています。


そして、1946年には「若草物語」や「心の旅路」などで知られるマーヴィン・ルロイ監督の映画「恋愛超特急」で、ジョン・ウェインと共演。


また、なんと1950年の戦争映画「三人帰る(三人の帰宅)」では、千葉県出身で単身渡米してアメリカで成功した日本人俳優の早川雪洲とも共演しています。

余談ですが、早川雪洲さんて、アカデミー助演男優賞にノミネートまでされているんですね!スゴイ!!さらに、アメリカ女性の間で人気があったらしいですよ♪ワオ!


1936年には年収30万ドル(約3,000万円)を稼ぎ、最も稼いだ女優の仲間入りをしたそうです。

そうそう、彼女がブレイクしたきっかけは映画「女は嘘つき」(1929)がヒットしたためだったそうです。この作品まだ観たことがないので、見てみたいなぁ〜!



クローデット・コルベールは50歳前後になる1950年代には、映画への出演をほぼなくして、TVドラマや舞台に時々出演しながら、ニューヨークはマンハッタンにあるアパートと、カリブ海にある島国バルバドスに所有していた家に住んでいたそうです。亡くなったのもバルバドスですから、きっと、美しい島なんでしょうね☆

ちなみに、1958年の舞台「The Marriage Go-Round」ではトニー賞にノミネートされているし、1987年のTVドラマ「グレンヴィル家の秘密」では、ゴールデン・グローブ賞 助演女優賞を受賞しています。

私生活では、2度結婚していますが、どちらの結婚でも子供はできなかったようです。

↓フランク・キャプラがAFI賞生涯功労賞を1982年に受賞した際にお祝いのコメントを述べる晩年のクローデット・コルベール(当時79才だと思うのですが、可愛らしくて若いですね!)




→ちなみに、私が運営しているサイト「すごスタ図鑑」では、クローデット・コルベールについて、動画や画像などを使って詳しく特集しているページもありますので、興味のある方はどうぞ


ウォーレン・ウィリアム

ウォーレン・ウィリアムは、1894年生まれの、アメリカの俳優です。

1934年に映画「The Case of the Howling Dog」でペリー・メイスン役を初めて演じた俳優としても知られています。

ペリー・メイスンというのは、アメリカの作家E・S・ガードナーの推理小説に登場する弁護士で、弁護士「ペリー・メイスン」シリーズは、これまで何回も映画やTVドラマ化されている大人気シリーズです。

代表作としては、フランク・キャプラ監督の映画「一日だけの淑女」でのギャングのボス役や、クローデット・コルベール主演映画「クレオパトラ」でのジュリアス・シーザー役、映画「模倣の人生」、そしてベティ・デイヴィス主演の映画「マルタの鷹」(1936)などがあります。


ジョセフ・シルドクラウト

ジョセフ・シルドクラウトは、1896年生まれの、オーストリア出身のアメリカ俳優です。

代表作としては、リリアン・ギッシュ主演のD・W・グリフィス監督映画「嵐の孤児」でハリウッド・デビューした後、41才の年に映画「ゾラの生涯」でアカデミー助演男優賞に輝きました☆

その他、クローデット・コルベール主演の映画「クレオパトラ」でのヘロデ大王役や、マレーネ・ディートリヒ&シャルル・ボワイエ主演の映画「沙漠の花園」、ジェイムズ・スチュワート主演、エルンスト・ルビッチ監督の映画「桃色の店」などにも出演しています。



いかがでしたでしょうか?


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replay_789jun at 16:29|Permalinkclip!