黒澤明
「荒野の用心棒」若きクリントイーストウッドが黒澤明&三船敏郎コンビのリメイクに挑む!
クリント・イーストウッド主演のイタリア映画で、いわゆるマカロニ・ウェスタンものですね。
イタリアの映画で、ウェスタンものという意味です。
この映画、実は日本が誇る巨匠、黒澤 明 監督の、三船 敏郎 主演映画「用心棒」のオマージュ作品なんですね!
個人的には、「用心棒」、大好きな映画の1本です♪そんなこともあいまって、なんとなく嬉しくなって観ちゃいましたが、なかなか面白かったです。
さらにテレビで吹き替え版をやっていたのを観たのですが、その声優さんがルパン三世で有名な山田康雄さんだったので、なおさら楽しかったですね〜♪
監督は、セルジオ・レオーネ
セルジオ・レオーネ監督(1929〜1989)は、イタリアはローマ出身の監督で、まさにマカロニ・ウェスタン ブームを巻き起こした伝説的な監督です。
代表作としては、本作の他に、映画「夕陽のガンマン」(1965)、「続・夕日のガンマン」(1966)、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)などがありますね。
2019年にレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピット主演で公開されたクエンティン・タランティー監督の映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は、まさにセルジオ・レオーネ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」のオマージュ的なタイトルとなっていますね。
セルジオ・レオーネは、実は父親も映画監督で、母親は女優という映画一家に生まれています。
下積み時代には、様々なイタリア映画やアメリカ映画の助監督などを務め、あの有名な歴史映画「ベン・ハー」の撮影監督の1人としても参加しています!
歴史映画ブームが去り、次に何を監督しようかと考えていた頃に、黒澤明 監督の「用心棒」(1961)に感銘を受けて、これを西部劇風にリメイクした作品の製作を思いつき本作「荒野の用心棒」を監督します。
ちなみに、本作の原題の意味は、「大金のために」という意味のようです。
本作の主演俳優には、様々なハリウッドスターをと考えて何人もオファーしたそうですが、なかなか決まらず。
時期的にクリント・イーストウッドが、ちょうどアメリカでヒットしていたドラマのメインキャストとして出演したため、ハリウッドの他の作品には出演できないという契約をしていたため、イタリア映画である本作の出演を受けたそうです。
そして、なんとこれが、世界的な大ヒットとなり、一躍、有名監督となります。
しかし、実はリメイクをするにあたり黒澤監督から了承を得ないで製作してしまったため、当時、黒澤明と専属契約を結んでいた日本の映画会社である東宝が著作権侵害として訴え、勝訴しています。
そのため、セルジオ・レオーネは賠償金10万ドルや、全世界での配給収入のうち15%を東宝に支払う事になりました。
ちなみに、Wikipediaによると、これらの金額が明るみに出たことで、黒澤明は世界的には、どの程度著作者が報酬をもらっているかなどについて知り、東宝に対して不信感を抱き契約を解除してハリウッド進出を決めたそうです!
本作の翌年1965年には再度クリント・イーストウッド主演で「夕陽のガンマン」というマカロニ・ウェスタンを製作し、こちらも大ヒット!
さらにハリウッドのユナイテッド・アーティスツからの依頼で1966年には「続・夕陽のガンマン」を製作し、こちらもクリント・イーストウッド主演で大ヒットしています。
余談ですが、このクリント・イーストウッドとタッグを組んで大ヒットした3作は、「ドル箱三部作」などと呼ばれています。
そしてもう1つの三部作を産んでいます。その1作目は、映画「ウエスタン」(1968)で今後はアメリカのパラマウントから出資を受けて製作します。
主演は、かつて本作「荒野の用心棒」の主演オファーを断られたチャールズ・ブロンソン、そしてヘンリー・フォンダです!こちらは日本やフランスで大ヒットし、アメリカでも公開から数年ほど経った後に評価されました。
さらに1971年に再びユナイテッド・アーティスツ出資で映画「夕陽のギャングたち」を製作。ジェームズ・コバーンなどが出演しています。
そして1984年に、ロバート・デ・ニーロとジェームズ・ウッズが主演を務めたギャング映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を製作します!
3時間を越える上映時間のため難色を示した映画館もあったようですが、日本やヨーロッパでは大ヒットしました。
この3本は「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」とも呼ばれています。ちなみに「ウェスタン」の原題は、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」です。
主演は、クリント・イーストウッド
クリント・イーストウッドは、アメリカの俳優で、90才を超えてなお現役バリバリという伝説的なハリウッド・スターです。
映画監督としても成功を収めていて、2度もアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を受賞しています。
受賞した作品は、映画「許されざる者」と「ミリオンダラー・ベイビー」です。
また、1994年にはアービング・G・タルバーグ賞も同アカデミーから授与されています。
俳優としては、TVドラマ「ローハイド」でブレイク後、本作「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」の三部作、そして、映画「ダーティ・ハリー」シリーズが特に有名ですよね。
特に、映画「ダーティ・ハリー」シリーズは、なんとパート5まで5作品もシリーズ化されて公開されています。
また、個人的にはメリル・ストリープと共演した映画「マディソン郡の橋」が一番印象に残っていますが、他にも映画「ザ・シークレット・サービス」も大ヒットしました!
最近では、映画「硫黄島からの手紙」や「グラン・トリノ」、そして監督した作品としてはアンジェリーナ・ジョリー主演の「チェンジリング」、ディカプリオ主演の「J・エドガー」、モーガン・フリーマンとマット・デイモン主演の「インビクタス/負けざる者たち」、トム・ハンクス主演の「ハドソン川の奇跡」など次々と精力的に作品を発表しています。
ざっくりと生い立ちをご紹介しておくと、アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコで生まれました。
父親はセールスや探偵など職を転々としながら暮らしており、クリント・イーストウッド自身は1949年からシアトルの工場で働き始めています。
この頃に、マリブのパーティで映画監督のハワード・ホークスとジョン・フォードに出会っているそうです。
その後、父親と同じシアトルのパルプ工場で働き始め、1951年にアメリカ陸軍に召集されています。
それからロサンゼルスに引越し、ビバリーヒルズでアパート経営をしながら、ガソリンスタンドでも働くという生活を送っています。
そんな折、ブラインドデートで当時、秘書を仕事にしていた女性マギー・ジョンソンと出逢い、数ヵ月後にはスピード結婚します。1953年、23才の年になりますね。
そして、ハンサムな若者だったクリント・イーストウッドは、知り合いから映画に出演してみないかと誘われ、俳優としての仕事を小さくスタートさせていきます。
面白いことにビリー・ワイルダー監督のマリリン・モンロー主演映画「七年目の浮気」のオーディションにも参加していたそうです。
ユニバーサル映画と契約して、いくつかの映画に端役として出演した後、TVドラマにも出演していますが、1955年、ディレクターだった人物によってユニバーサル映画をクビになります。
その後、エージェントの紹介で何作かの映画に出演しながら、プール工事などのアルバイトをしつつ、演技学校やトレーニングジム通いもしています。
そのせいもあってなのか、ケンカが強かったようで、友人たちとレストランの前で強盗に襲われる経験をしているのですが、逆に脅かして追っ払っていたり、バーで友人といた際に船乗りにからまれた時には、罵られたうえに殴られたので、逆に相手2人を病院送りにしたというエピソードがあるそうです(笑)
そして、再度ビリー・ワイルダー監督映画「翼よ! あれが巴里の灯だ」のオーディションを受けています。結果は落選していますが、ワイルダー監督の作品が好きだったんですかね?
そして、1959年についてキャリアの転機となったTVドラマ「ローハイド」への出演が決まります!
1965年まで続いた西部劇になります。当時28才だったクリント・イーストウッドは主演の1人で10代の青年役を演じました。
シーズン8まで続いたこの番組は大人気で、クリント・イーストウッドのギャラも上がり、新居を購入しています。
ちなみに、この「ローハイド」のシーズン4-14には映画女優バーバラ・スタンウィックがゲスト出演しています!他にも、ディーン・マーティンや、ラルフ・ベラミー、メアリー・アスターなど人気俳優・女優がゲスト出演を果たしています。
そして、シーズン6の頃に、世界的ブレイクのきっかけとなった映画への出演オファーがきます!
それが本作の「荒野の用心棒」です。
最初は、「ローハイド」のもう1人の主演俳優エリック・フレミングにオファーが来たようですが、監督のセルジオ・レオーネは最初からクリント・イーストウッドの方を推していたようですね。
さらに脚本を読んだクリント・イーストウッドは黒澤明の「用心棒」のリメイクだと気づいたというからスゴイ。さすが、世界の黒澤です!
さらに翌年1965年に再びセルジオ・レオーネと組んで映画「夕陽のガンマン」に主演。
そして1966年には、ドル箱三部作の3作目「続・夕陽のガンマン」に主演しました。
ちなみに、クリント・イーストウッドは、本作「荒野の用心棒」の時には、メルセデス・ベンツを購入し、「夕陽のガンマン」の際にはフェラーリを購入。
さらに「続・夕陽のガンマン」では25万ドルのギャラに加えて、新車のフェラーリ1台をもらっています♪ギャラが確実にアップしている(笑)
また、この頃にイタリアの大物映画プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスに会い、ディノ・デ・ラウレンティスの当時の妻で人気女優でもあったシルヴァーナ・マンガーノの主演映画「華やかな魔女たち」にも出演しています。
当時のクリント・イーストウッドは、フランスやイタリアで大人気だったようです!
そして、1967年に長年の夢だった映画製作会社「マルパソ・プロダクション」を設立します。
この会社の最初の映画は「奴らを高く吊るせ!」で、ユナイテッド・アーティスツ社と共同制作して大ヒットを記録。高い評価を得ました。
その頃、ノリにノッているクリント・イーストウッドに、以前クビを言い渡したユニバーサル映画から、和解の意味も込めて100万ドルの出演料で映画「マンハッタン無宿」のオファーがきます。
結局、出演を受けますが、この時の映画監督がドン・シーゲルで、二人は意気投合。後に大ヒットシリーズの第一作の映画「ダーティハリー」をコンビで製作します!
この「ダーティハリー」シリーズは2021年現在、第5作まで続いています。
なお、ドン・シーゲルが監督を務めたのは1作目のみです。第4作目はクリント・イーストウッド自身が監督も務めています!
また、この頃から映画「恐怖のメロディ」で初の監督デビュー後、数多くの映画を監督しています。
そうそう、あと実は「007」シリーズのジェームズ・ボンド役ショーン・コネリーの後任としてオファーを受けていたそうです!英国人俳優が演じるべきということで、お断りしたらしいです。
1975年には、映画「アウトロー」を製作。ヒロイン役にソンドラ・ロックを起用し、Wikipediaによると、この映画での出逢いがきっかけでクリント・イーストウッドの愛人として交際がスタートしています。
そうそう、クリント・イーストウッドの私生活は、意外にも破天荒で(笑)、結婚は1度目のマギー・ジョンソンとは、1985年(55才の年)に離婚。
2度目は、TVのニュースキャスターで女優のディナ・イーストウッドで、1996〜2014年の間結婚していましたが、離婚しています。
そしてWikipediaによると、結婚はしていませんが、女優フランシス・フィッシャー(1990–1995)や、ソンドラ・ロックとの交際で知られ、ほかにも婚外子として別の2人の女性との間に数人の子供をつくっています。
ちなみにフランシス・フィッシャーとの間にも1人娘が生まれています。フランシス・フィッシャーは映画「タイタニック」でケイト・ウィンウィンスレットが演じたローズの母親役で有名ですね!
あと、ソンドラ・ロックからは、別れる際に慰謝料を求める訴訟をおこされ話題となりました。
クリント・イーストウッドは、元妻も入れて少なくとも6人の女性との間に8人の子供がいるということです。「少なくとも」って…(笑)
そして、1992年(62才の年)に映画「許されざる者」を監督&主演して、アカデミー監督賞と作品賞を受賞!
さらに、2004年(74才の年!)にも映画「ミリオンダラー・ベイビー」で、アカデミー監督賞と作品賞をダブル受賞しています!
その後、2006年には映画「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」をわずか2ヶ月のズレで公開。監督と製作を務めました。
これらの作品は第二次世界大戦中の日米戦争の中でも最大級の痛手とされている硫黄島の戦いを、日米それぞれの視点から撮った映画になり、製作にはスティーヴン・スピルバーグも関わっています。
日本側からの視点で撮影された「硫黄島からの手紙」は、ほとんどが日本語セリフで、出演者も渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童ら日本人がほとんどとなっている、めずらしい映画ですね。
その後も、だいたい1年に1作を監督するという精力的な活動を続けています。2021年現在で91才です!
音楽は、巨匠エンニオ・モリコーネ!
エンニオ・モリコーネは、イタリアはローマ生まれの作曲家で、本作「荒野の用心棒」のほか、セルジオ・レオーネ監督とはコンビを組んで、続く映画「夕陽のガンマン」と「続夕陽のガンマン」でも音楽を担当しています。
なんと、本作の監督セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネは小学校の同級生という関係なんだそうです!
それと、日本でも大人気のイタリア映画監督ジュゼッペ・トルナトーレの名画「ニュー・シネマ・パラダイス」の音楽担当でも知られています。この作品で世界的に有名な作曲家となりましたね♪
ジュゼッペ・トルナトーレ監督とは、「海の上のピアニスト」「マレーナ」「題名のない子守唄」「シチリア!シチリア!」「鑑定士と顔のない依頼人」など多数の作品を担当しています。
他にも、1987年のアメリカ映画「アンタッチャブル」の音楽を担当し、グラミー賞を受賞しています。
クリント・イーストウッドが主演した映画「ザ・シークレット・サービス」でも音楽を担当しましたね♪
あと、キャサリン・ヘプバーンが最後に出演した映画「めぐり逢い」(1994)も担当しています。
2007年(79才の年)に、アカデミー名誉賞を受賞され、2016年(88才の年)には、映画「ヘイトフル・エイト」の音楽でアカデミー作曲賞に輝いています。
エンニオ・モリコーネの音楽は、聞いていると心が切なくなる美しくて優しい音楽ばかりで、大好きです♪
私生活では、すごく愛妻家だったそうです。また、チョコレートが大好物だったとか。
残念ながら、2020年に亡くなってしまっています。享年91才でした。
いかがでしたでしょうか?皆さんなら、「荒野の用心棒」を観て、どんな感想を持ちますか?